紀伊半島大水害を乗りこえたお米が届きました
2年前、平成23年9月3~4日にかけて、台風12号の接近に伴う未曾有の豪雨が紀伊半島を襲いました。東日本大震災からまもなく半年という時でした。、新宮市小原谷では、9月3日の一日の雨量が800mmを超え、4日には降り始めからの総雨量が1800mmを超えました。その後、観測機材は通信不能となり欠測となりましたが、2000mmを超えただろうといわれる記録的な大豪雨となりました。
先月下旬に、曹洞宗茨城県宗務所主催の檀信徒研修で、高野山の宿坊に泊り、南紀熊野地方を訪ねました。二日目の昼食会場となった熊野川沿いのレストハウスは屋根の上まで増水し、完全に水没したようです。モニュメントが示す水位は屋根の上にありました。増水した熊野川と那智川は流域の住居や農地を遅い壊滅的な被害をもたらしました。
和歌山県新宮市に隣接する三重県紀宝町鵜殿にある東正寺様からお米が届きました。平成15年に梅花流特派師範に就任した最初の年の11月、三重県第二宗務所を巡回したおり、住職の片野晴友老師に那智の滝や那智熊野大社、青岸渡寺を案内して頂いて以来ずっと親しくさせて頂いております。東正寺様では、平成20年に日曜学校の子供たちとお米を作ろうと田んぼを購入しました。平成23年には4日間かけて手植えで田植えを行い成長した稲を9月4日に稲刈りを予定していたそうです。その時襲ったのが台風12号による未曾有の大水害でした。田んぼは一面の砂山となり、お米を収穫することができなくなってしまったのです。
1年以上かけた復旧作業も完了し、今年5月に再び田植えをすることができました。そして、収穫されたのが今回届いたお米です。これはおいしくない訳がありません。届いた翌朝に炊いたお米は、もちもちしていて本当に美味しかったです。
平成23年紀伊半島大水害について、また、今回感じた、高野山と熊野地方の信仰については来月の法話で改めて述べさせていただきます。
2020年へ子供たちに夢を
9月8日、午前5時、龍泰院の本堂には、2020年東京オリンピック&パラリンピック招致活動をしてきた地域のみなさん、大子ジュニアレスリングクラブの子供たちと保護者、指導者のみなさんなどが集まり、IOCのロゲ会長の発表を待っていました。袋田の滝のゆるキャラたき丸くんも現れ、かたずを呑んで見守っていました。そして、運命の5時20分、「TOKYO」と発表になると、大歓声に包まれました。
大子町では、袋田清流会の発案で、オリンピック招致ポスターを町中に貼り、8月5日に招致委員会の関係者を招いて、袋田滝本でビッグフラッグへのメッセージを書き込むイベントなどが行われました。そして、発表の時は、パブリックビューイングで盛り上げようということになり、うちで行うことになったというわけです。
大子町では、レスリングの吉田沙保里選手が合宿したのを縁に、大子ジュニアレスリングクラブとのご縁が続いています。その卒団生の中にはオリンピック出場の期待がもたれる生徒がいます。また、大子清流高校の生徒にもウェートリフティングでオリンピック出場が期待できる生徒もいます。東京での開催ということになればその夢が広がります。
前回の東京オリンピックが開催されたとき私は4歳でした。次の世代の人たちにも夢と希望を与えることができるのではないかと嬉しく思います。「子供たちに夢を!東北の被災地に希望を」2020年はあと7年後、それは、そんな遠い未来の話ではありません。
南三陸町を視察研修して
今日は、防災の日、関東大震災から90年という年です。先月下旬に教育委員会で南三陸町の教育委員会を訪問し、たくさんのことを学んできました。
震災当日の先生と子どもたちの行動、避難所での中学生達の活躍、そして、防災訓練では中学生が中心になって避難所を運営したり、炊き出しをする訓練も行われているそうです。まさに、震災を教訓として震災からしっかり生きる術を学んでいると感じました。
防災教育で大事なことは、「自分の命は自分で守る」ということに尽きるそうです。この重い言葉を大子町の子どもたちにも伝えたいと思います。南三陸町にある、歌津中学校の90パーセントの生徒が、「この町に残り、町の復興に関わっていきたい。」と考えているそうです。また、多くのこどもたちが、自衛隊の活躍に心を打たれ、将来は人のため、社会のために役立つ仕事につきたいと考えているそうです。
この町の未来を担う、子どもたちの姿勢を頼もしく思うとともに、これからも継続して南三陸を応援していきたいとあらためて思いました。
支援の輪が広がる梅花流全国大会
東日本大震災三回忌法要を兼ねた平成25年度梅花流全国奉詠大会は、宮城県利府町グランディ・21で5月29日と30日の二日間にわたって開催されました。
茨城県は大会の二日目にバス四台で参加しました。右手二階席の地元宮城県梅花講の席からは、熱烈歓迎「被災地宮城県へようこそ!」の垂れ幕がさがり、たくさんの墨書による力強いメッセージが掲げられていました。左手には福島からみえられたたくさんの講員さんが大会の様子を見守られ、三回忌法要の時には震災遺族の方々が参列されました。大会の様子は、一部を除いてインターネット動画サイト「ユーストリーム」で公開されて、世界中から見ることができます。
また、販売ブースには売店もたくさん出店されていて、仏具や線香の他、東北の物産がたくさん並べられていました。その中には、石巻ざっふーの会や、被災地にお地蔵様を建てる運動をしている団体、岩手県の折鶴の形の被災者支援バッチを販売するブースなどもあり、いろいろな形で協力することができました。私も、折鶴のバッジを購入し、千羽鶴を作るのに協力してくれた人へのお土産にしました。
今回、全国大会に参加した二日間で1万人以上の方々と思いを共有できたのは、本当に意義深いことであったと思います。そして、今回全国大会を通して東北の被災地を訪れた僧侶や講員さんが全国各地で感じたことなどをお話をしていただければさらにその輪が広がるのではないかと感じました。
梅花流全国大会当日の様子は、この記事でご下さい。
全国から梅花の仲間が被災地に集まりました
5月29日、午前7時30分に駐車場に集合した龍泰院梅花講員のみなさんたち、みんなで折った千羽鶴を全国大会に参加する12名の講員さんと私にたくしました。茨城県宗務所のバス三台は安達太良サービスエリアで集合、塩釜港から遊覧船に乗り松島湾へと向かい、そこで海上慰霊を行いました。震災語り部の女性ガイドさんの震災直後のお話は、地元の人ならではの興味深い話でした。
松島で昼食を頂き、バスで石巻市大川小学校へと向かい、茨城県宗務所梅花講で花や千羽鶴を供え読経し、追善供養御和讃を唱えてご供養しました。私自身は震災後の石巻へ、何度も来ていますが、今回初めて津波の被害を受けた宮城県の沿岸部に来た講員さんも多く、静かに手を合わせて祈る姿が印象的でした。
バスは岬を回り、南三陸へと入り、志津川の南三陸町防災対策庁舎のあとでも、読経し線香を手向けました。
半年前に来たときには瓦礫や被災建物の基礎が目立った志津川の街も、すっかり整地され、盛土が始まり復旧工事が急ピッチで進められていました。震災後初めて来た講員さんに私は、一か月後の様子、三か月後の様子、一年後の様子などを話してあげました。そうでないと、ここに街があって多くの人が暮らしていたことさへ思いもよらない景色が広がっていましたので・・・。
全国大会に参加した1万人以上の方が大会の行われた宮城県はもとより、岩手県、
福島県を訪れ、被災地の様子を目の当たりに見て、そして、温泉に宿泊し、お土産をたくさん買っていきました。そのお土産と共に全国の仲間に伝えることができたのではないかと思います。茨城県は30日の朝、直接会場にやってきた講員さんとも合流し、バス四台で全国大会二日目に参加しました。全国から集まった梅花の仲間とそうした思いをさらに強めた大会となりました。その様子は、来月の法話でご紹介させていただきます。
梅花流全国大会旅行の様子は袋田の住職「山寺日記」でもご覧いただけます。
御開山さまの足跡を訪ねて 2
5月29~30日は、宮城県で行われた東日本大震災被災物故者3回忌慰霊法要を兼ねた梅花流全国奉詠大会に参加してきました。その話は来月あらためて御報告させていただく事とし、4月17~18日に、御開山さまの足跡を訪ねて秋田へ行ってきた研修旅行についてお話します。
北秋田市綴子の宝勝寺さまは、このたび開山550年を迎えました。初代住職は明岩桂光大和尚さまで、宝勝寺を開かれ住職を長く勤めたあと、足利に移り、長林寺の三世となられています。龍泰院の開山天山正繁大和尚は、宝勝寺の三世を勤めた後、足利長林寺五世となり、さらには、上金沢の常明寺の二世となりました。その後、天山大和尚は、御前山伊勢畑の長昌寺を開かれ、最後に開山し住したのが龍泰院です。長林寺住職の時代には、輪番住職として、三田の永澤寺の124世住職にもなっています。
まさに、北から南へ西へと教線の拡大に大活躍された天山様ですが、当時は今と違い徒歩での移動だったでしょうから、さぞ大変なご苦労をされたのではないかと拝察しました。バスで移動しても長く大変行程でした。厳しかった冬を物語るかのように屋根からおちた雪の山に、改めて御開山さまのご苦労を偲んだところです。
今回は、檀信徒の皆さんと宝勝寺様を訪問できたので、その感動を共有することが出来ました。本当にありがたい御縁をいただいたと思います。本堂で般若心経を読み正法御和讃を献詠し、開山堂をお参りさせて頂きました。客殿では山内の皆様に御歓待いただき、大変ありがたい思いを致しました。出発の時には宝勝寺の秩父住職自ら大梵鐘を撞いてお見送りして下さいましたが、これには、参加者の皆さんも大変感動されたそうです。
480年の時と520kmの距離をつなげられる、本当にありがたい秋田県宝勝寺参拝となりました。
研修旅行の様子は 袋田の住職「山寺日記」でもご覧いただけます。
御開山さまの足跡を訪ねて 1
4月17~18日に秋田へ行ってきました。目的は龍泰院の御開山さま天山正繁大和尚の足跡を訪ねることです。
護持会の役員さん、坐禅会の皆さん、梅花講員さん方に声をかけ、希望する一般の方にも参加して頂き38名で袋田を出発しました。朝6時、バスが出る時、中学二年になった弟子の光尚が梵鐘を撞いて見送ってくれました。袋田から福島県南部の塙町のあたりまではすでに葉桜になっていましたが、福島県央、県北、そして、宮城県南部は桜が満開でした。
せっかくなのでバスを駐車場にとめて宮城県白石川沿いの一目千本桜を見学しました。その本数は1200本、何より感心したのは、樹齢90年の古木が並んでいるのにテングス病や枯れ枝が見られないことです。手間をかけて手入れしているのでこの景観が守られているのだと実際にそばで見て感じた次第です。
昼食を奥州市の前沢で頂き、角館へと向かいました。岩手の桜はまだ開花してなく、秋田へ入ると周りには雪の山が残り、桜は堅いつぼみでした。同じ東北でもこんなに違うのかと思いました。角館は佐竹北家や会津ゆかりの芦名氏が封された街です。古い武家屋敷や商家、それに常陸や会津ゆかりのお寺がありました。常陸から秋田へ入封された佐竹公やその家臣たちは、長い移動や何か月も雪に閉ざされる慣れない土地での暮らしはさぞ大変だったと思います。そんなことを感じながら秋田での時を過ごしました。その日は、男鹿温泉で参加者の皆さんと懇親を深め、翌日、雪で真っ白な白神山地を見ながら目的地である北秋田市綴子の宝勝寺さまへと向かいました。そこは、天山正繁大和尚が三世として最初に住職を勤めたお寺です。長くなりましたので、続きは6月の法話でお話しさせて頂きます。
研修旅行の様子は 袋田の住職「山寺日記」でもご覧いただけます。
生命の樹(いのちのき)
先月は、10日の朝5時にNHK-Eテレ 「こころの時代」に2011年8月の法話で紹介した金田諦應師が登場されました。(再放送は17日)、また、3月20日には、BS日テレの番組「日本百巡礼という番組で、作家で僧侶の玄侑宗久さんを石巻を案内する形で、後藤泰彦師が登場されました。2012年4月の法話の桜を植える活動なども紹介されました。
被災地では、復興へ向けた取り組みが進んでいますが、取り残された思いのひと、大事な人を失った悲しみから立ち直れない人がまだまだ大勢います。人間の力でどうにもならない時、桜の木や手作りのお地蔵様が力を貸してくれるのだと感じる番組でした。
今年は、思いのほか桜の開花が早く、当山の樹齢90年のソメイヨシノも3月28日に開花しました。私の知る限り最も早い開花です。今月中旬には檀家さんを引率して、東北を訪ねる旅を企画しました。ちょうど東北は桜の季節、人々を勇気づけるように咲く桜を観て、東北を応援してこようと思っています。5月には、梅花流の全国大会で講員さんと宮城へ行きます。その頃は緑が深まる時期かと思います。
樹木や花は人間に生きる力と希望を与えてくれます。それはその根底に命のつながりがあるからだと思います。その生命を詩にしてみました。子どもたちに命のつながりを感じて頂き、未来への希望を失ってほしくないという思いで作った詩です。
袋田の住職「山寺日記」の記事「生命の樹」で、お読みください。
東日本大震災から2年になりますね
1月の法話でご紹介した埼玉県法光寺の大野師から、3月1日に名取市で三回忌供養追悼法要を行うので集まってくれと、竹友寮の同期生に案内があり、出かけてきました。28日に前泊した秋保温泉では、三宅師、大野師、さらに昨年、桜の植樹でお世話になった後藤師と同室になり、いろいろなお話を聴くことが出来ました。
大震災から丸2年が経とうとしているのに、まだ、多くの被災地で復興の姿が見えてきていません。三宅師によると、瓦礫を取り除くまでは目に見えて進んでいる感じがしていたのに、その後は、なかなか進んでいる様子が見えてこないとの事でした。東禅寺さまのある閖上地区は、盛土をしてかさ上げするところ、集団移転するところなど計画が出てきているそうですが、さらに進めていくには意見調整が大変で、仮設住宅から出て行く人も見受けられるようになってきているそうです。
東禅寺さまでは、200余名の檀信徒が亡くなられています。ご両親を津波で失った彼は、その悲しみを胸のうちに秘めて檀信徒の皆さんに寄り添っています。旅館の部屋にいる時も、三回忌の相談や檀家さんの親戚の方からの問い合わせの電話が携帯に何度もかかってきてました。
今日(3月1日)は、閖上の東禅寺さまの本堂の前に集まり、みんなで読経供養した後、午後1時から名取市内のセレモニーホールを会場に三回忌供養が行われ、物故者を追悼し、閖上地区の復興と被災者の生活再建を祈念いたしました。三宅師は、3月11日には、津波が閖上を襲った午後3時53分に檀信徒の皆さんに集まっていただき、本堂の前で手を合わせるそうです。
私も3月11日は、午後2時46分に追悼法要を行い、東日本大震災の物故者を慰霊する鐘を撞き、3時33分に被災地へ向かって手を合わせるつもりです。東禅寺さまの本堂が再建され、埼玉の法光寺さまが預かっている鐘が閖上の地に戻され、鐘の音が閖上の地に響き渡ることを願って・・・
百段階段を昇りながら人生を考えてみたら・・・
以前も月々の法話で紹介したことがある、大子の十二所神社の百段階段。だいご小学校の通学路にもなっているので、子供たちも昇り降りする石段です。先日この石段を昇りながら人生というものを考えてみました。
まず、12段昇ったところで立ち止まってみました。ここから見える範囲は限られています。長男の光尚は今、その12段目から13段目に登るところ、将来はまだ見えてきませんが。サッカー部で走り回り、中学校生活を楽しんでいるようです。日々の勤めとして、毎朝梵鐘を撞いています。
15段目になると、少しだけ見える範囲が広がりました。次女の千鶴子は義務教育を終え、高校生になるところです。どんな未来が待っているのかわかりませんが、けっこう頑張り屋で、学校の勉強やピアノの練習に熱心に取り組んでいます。吹奏楽部のファーストトランペットで町の行事にも引っ張りだこでした。
長女は22段目、大学の卒業が決まり、東京から引き揚げてきました。地元に戻り、社会に出る時を迎えました。街並みが見える高さです。でも、石段の上を見上げるとまだまだ先は長いです。足元を確かめ、焦らずにしっかりと一歩一歩昇って行って欲しい時期です。
学校での友人関係、先生との関係に悩んでいる人には、この百段階段に来て、自分の今の位置を確かめ、人生を考えて欲しいと思います。自分の未来に何が待っているのか、今はまだ人生という問い階段から見ればわずかな時間を過ごしてきたにすぎません。そうなんです。人生、まだまだ先は長いのです。目の前の事に行き詰った時は、少し未来の自分の姿を想像してみましょう。今やるべきことが見えてくれるはず!
ちなみに、私はもうすぐ53段目、けっこう昇ってきてだいぶ遠くまで見えるようになりました。でも、まだ全体からいうと真ん中あたりです。一生懸命昇る時です。
もう少し上ると62段目に踊り場があります。人生でいうと定年を迎える時期ではないでしょうか・・・、少し立ち止まり、人生を振り返り、これからやるべきとこを考えてみましょう。
母はもうすぐ80段目に昇ります。ここまで来ると街が一望でき、遠くの山並みもきれいに見えます。慌てることはありません。ゆっくりゆっくり昇りましょう。まだ上には21段ありますので、母にはもう少し上の景色を眺めてもらいたいと思っています。
百段階段は実際には百一段あります。その一番上からの眺めは最高です。皆さんも、そこまで昇って、人生というものを考えてみませんか?百歳生きるのは大変ですが、百段階段の上からの眺めは誰でも見られますので。
百段階段の写真は 住職のブログ「山寺日記」で
今年も、3月3日にこの百段階段でひな祭りがあります。豪華百段飾りのお雛様をご頂きたく存じます。
名取市閖上の復興を願って鐘が撞かれます。
今年、平成25年は、龍泰院が開創されて480年になります。私も住職になって30年という節目の年になりました。今年も檀信徒に寄り添い、被災地へ向きあって過ごそうと思っています。
暮れに、NHKの早朝のニュースを視ていたら、埼玉のお寺法光寺さまで、宮城県のお寺から預かっている梵鐘を被災地へ向けて撞くという話題が紹介されていました。その埼玉県のお寺というのが、駒澤大学の同級生で仏教研修館竹友寮で共に過ごした仲間大野師のところです。
大野師は、東日本大震災の巨大津波で、大きな被害を受けた名取市閖上地区にあった東禅寺さまの本堂が半壊し、同級生の三宅師も両親を亡くしたと聴き、同級生に声をかけ、支援を取りまとめました。その時に再建されるまでということで、梵鐘を預かったというわけです。仮設のやぐらに吊るされた東禅寺さまの梵鐘は宮城県に向けて撞かれたことでしょう。
うちの梵鐘は北を向いているので、東北の被災地へ届くように、復興への願いを込めて百八つの鐘を撞きました。弟子の光尚とお菓子を百八個選び鐘を撞く人に配りました。東禅寺さまの本堂は津波で大きなダメージを受けていますが、三宅師は先代住職であり、父親でもあった師匠の建てた本堂を修復して使いたいと言ってました。私も、それがいいと思いました。
東禅寺さまの本堂が復興されれば閖上の人たちの希望の灯となるでしょう。津波で大きな被害を受けた被災地は、まだまだ大変な状況にあります。しかし、全国の仲間が被災地を支援しています。多くの人が心を寄せていますので、必ず復興できると思います。
昨年、閖上を訪問した時の様子は住職のブログ「山寺日記」で
九州と東北の被災地が絆でつながりました。
11月27日、熊本県で行われる九州管区の梅花流奉詠大会と岩手県宮古、宮城県気仙沼、福島県伊達市の会場がインターネットのライブ中継でつながるという話を永平寺同安居(同日上山)の法友、九州師範会の会長を努める大分の甲斐之彦さん聞き、ちょうど同じ日に同安居会が宮城であったので、気仙沼まで足を延ばしてみました。
気仙沼会場は旧知の梅花師範工藤霊龍さんが住職を勤める青龍寺さまです。気仙沼港に近く、津波の被害の大きかったエリアですが、斜面にある四階建てのお寺だったので、建物は大丈夫でした。しかし、門前は人が住めない状態です。本堂の中に入るとそこでは60名ほどの地元の梅花講員さんが、集まって中継に臨んでいました。特設スクリーンには、九州大会のステージの様子や、宮古会場に集まった講員さんの姿が映し出されています。その様子をインタ―ネットで全国、いや全世界の人が視聴することが出来るのです。まさに、梅花を御縁に九州と、東北の被災地がつながった瞬間でした。そして、全国の梅花講員が絆で結びついていることを確認できました。
気仙沼も、その後訪れた南三陸も、いまだに瓦礫があちこちに積み上げられ、防波堤も土嚢による仮設のものです。大きな余震が来て再び津波が押し寄せたら、ひとたまりもありません。そうした中でも人々は、プレハブの復興商店街で飲食店や商店を営んでいました。その日は雪が舞う寒い日でした。東北の冬の到来は早いです。一日も早く復興が進むことを、暖かい春がやってくることを祈念し、今年の最後の月々の法話を結ばさせて頂きます