月が出た出た月が~出た
秋も深まりましたので、「秋は月」にちなんだ話をしたいと思います。
「月が~~~出た出た月が~~出た~~♪」という三池炭坑節は聴いたり、あるいは口ずさんだことがあるかと思います。この炭坑節の発祥の地は、福岡県の田川です。三池炭坑自体は同じ福岡県の大牟田市にあり、昭和38年に戦後最悪となる458名の尊い人命を奪い839人が一酸化炭素中毒になった粉じん爆発事故があったところですが今回は訪れる機会はありませんでした。三池炭坑節も田川で作られたそうです。
今回の梅花流特派巡回では福岡県の東部、行橋市から北九州市そして筑豊地方の飯塚、田川を巡回しました。筑豊はかつて、炭鉱の町として大いに栄え、日本の石炭の半分産出したといわれる地域です。そして、その石炭が北九州の製鉄所で使われ、日本の成長発展に大いに寄与してきた地域でもあります。
もくもくと煙を上げる空高くそびえる煙突やボタ山に月がかかる様子を想像してください。日本が高度成長を始めたころの活気が感じられるかと思います。やがて、エネルギーは石炭から石油にかわり、真っ黒だったボタ山も緑の木で覆われました。時代も昭和から平成になってすでに22年、時の流れを感じます。
五木寛之さんの小説「青春の門」の舞台となった筑豊は、小説からは暗い感じを受けましたが、実際に行ってみて、かつての繁栄が今に文化として残り、とても良い町だと感じました。田川のシンボル香春岳(かわらだけ)は形を変えて今もその姿が人間の営みを語っています。山といえども長い歳月には形を変えていきます。人間が作り出したボタ山、そして、人間が削り取った香春岳、山とそこにかかる月を見ながらいろいろなことを感じた福岡巡回の様子は山寺日記のこのあたりの記事でご覧ください。
里山の存続が危ぶまれます
里山の田んぼで収穫されたお米をかまどで炊くと、本当においしいご飯が炊き上がります。しかし、その極上のお米を生み出す棚田が今大ピンチです。山村で田んぼを作っている人の多くは、70歳以上、あと何年続けられるかわからないといいます。その子供の世代というと私たちの世代になるのですが、子育てや仕事など日々の生活に忙しく、田んぼや畑の手伝いをすることはほとんどありません。
親たちの世代の中には、子供たちにおいしい米を作ってあげようと頑張っているのに、子供に「無理してまで田んぼを作らなくていいよ!買ってきて食べれば良いんだから・・・・。」と言われ、田んぼを作る気力をなくしてしまったという人の話を聞きました。
実は、その「買ってきて食べれば良いんだから。」といえる時代に刻々と終わりが近づいているのです。
地球温暖化、世界的な人口増加、原油生産の減少、戦争など、様々な要因により、近い将来外国から食料を運んで来ることができなくなることを予測している人がいます。食料を買えない時代になった時、その時に里山の耕地が残っていればよいのですが、大型機械が使えない山間部の田畑は耕作放棄地となってどんどん荒れてきているというのが現状です。
せめて、実家が農家だという方は、田植えの時ぐらい、また、稲刈りの時ぐらい手伝ってあげれば、たとえ戦力にならない子供たちでも、そこにいてあげられれば、里山を守っている人のモチベーションが上がると思うのですが・・・。
経済格差等により、山村に住む人だけでは棚田や段々畑のある里山の風景を守っていけなくなっています。今こそ、都会の人たちに日本の原風景である、山村を守る活動に協力してほしいと思います。棚田を守る活動に直接参加してもらうのが一番ですが、たとえば、里山の田んぼで収穫されたお米を買って食べるだけでも、大きな力になりますので!
一年前、21年11月号の「禅の友」の特集で一緒に執筆させていただいた中村陽子さんの主宰する「メダカのがっこう」のホームページに食料自給の問題を描いた絵本がありますのでよかったらリンク先をご覧ください。
トンボのように蝶のように・・・いつも近くで
NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」も9月いっぱいで放送終了となります。昭和の時代の暮らしぶりが、描かれていてとても懐かしく感じました。
さて、その中で「死んだ人はいなくなるのでなく、ずっとそばにいて見守ってくれていると感じるのよ。」いう松坂慶子さん演じる美智子さんの台詞がありました。お盆は、ご先祖の存在を感じる時節でもあります。古いお墓をお参りすると、天明とか、天保という年号が刻まれた墓石があったりします。ご先祖様が確かにいた証しですが、その時代までさかのぼると自分にも数え切れないほどのご先祖様がいたことになります。もし、そのうちひとりでもいなかったら、自分につながる命が途切れてしまったとしたらどうだったでしょうか?自分というものは存在しないだろうし、世の中も変わってしまっていた事でしょう。
お盆になると、ご先祖様が、帰ってくるといいますね。遠くへ行っていた人が帰ってくるのでなく、実は、いつも、そばにいて私たちを見守っていてくれるのかもしれません。一生懸命頑張っていると、何かが手を差し伸べてくれる。そんな事を感じた事は、ありませんか?私は、何度もそんなことを感じる出来事がありました。ご先祖さまが帰ってくるというよりも、実は、いつも身近で守ってくれているご先祖様の存在を確認できる時がお盆なのかもしれません。境内をパトロールするかのように飛び回るトンボや花から花へと舞う蝶を見ていてそんな事を考えました。
先月の法話で触れた、所在不明の高齢者は、どんどん増えています。「死んだ人はずっとそばにいる。」というのは、きちんと葬儀をした上での話しですので、おかしなことにならないようにしっかり生きてゆきたいものです。
8月11日に得度式を行った長男の光尚に僧籍登録証が届きました。まだ10歳ながらも、これで、正式に僧侶の仲間入りをした事になります。夏休みにはトンボを追いかけて遊んでましたが、夏休みの自由研究としてそれをまとめました。畑に行って、おばあちゃんの手伝いをしたりもしました。そういう心を大事にして欲しいです。
草とたたかう毎日・・・ハスの花が咲きました
今日から8月、ミンミンゼミも鳴き始め猛暑の夏はさらに続きそうです。今年は、気温が高い上に雨が多く棄嫌に生える草達も伸びるのが早いです。
暑い中、草刈をしたり、掃除をするお年寄り達、熱中症になりはしないかと心配してますが、みなさん元気に作業をしています。人さまのために役に立っているのが、うれしいんですよ。と話してくれました。 よく、年寄りの身体を心配して、「何もしなくていいから!」と親に命ずる子どもがいますが、「何もしなくてもいいから。」と大事にされたお年よりは、日に日に衰えていきます。人のために役立っている、家族の助けになっているという、満足感が生きる支えにもなっています。人のためになっているという喜びは何物にも代えがたい喜びなのではないでしょうか。
市長さんが、長寿のお祝いに行こうとしたら、すでに何年も前にその人は亡くなっていて、その年金を子どもや孫が引き出して使っていたというニュースが時々TVで流れます。人のために働くどころか、それまで受け取っていた親族の年金がなくなったら困ると思い、まだ、生きている事にしよう。というあきれた考えをする人がいるのはどういうことなのでしょうか? 物を与えられることに慣れてしまった人が口にするのは、感謝の言葉でなく、不満や愚痴だったりします。人間の欲望、堕落、このようなあきれた人に、暑い中汗を流して、働いてる人の姿を見せてあげたいものです。私は、人の役に立てることに喜びを感じられる人間でありたいと思っています。皆さんはいかがですか?
先日買ってきた蓮の鉢に白い花が咲きました。泥中にあっても汚れに染まらない純白の蓮の花はさながら菩薩の心のようです。
夏も花、そしてゲンジボタルも・・・
初夏の花は、春の花よりも大きく豪華なものが多く見られます。6月中旬に巡回した福島県の会津地方は桐材の産地です。いたるところで藤色の大きな桐の花を見ることができました。また、今年は、ヤマボウシも当たり年のようで、奥久慈の山並にも白く輝く姿が遠くからも確認できました。境内では、ホウノキやタイサンボクも大きな白い花をつけています。すぐに散る春の花と趣を異にし、長く咲くのが夏の花の特徴のようです。
それから、初夏に咲くヤマユリやオニユリなども豪華です。袋田の滝付近では「ミヤマスカシユリ」が咲き始めました。自然の中では袋田の滝付近から奥久慈男体山へと続く山並でしか見られない希少種のユリです。これから7月中旬にかけて、袋田の滝の左側の岩壁に咲いている姿が見られます。ここでしか見られないユリですのでこの時期に滝を訪れる方には是非観賞して欲しいものです。
境内の片隅でも種の保存のため二株植えてあります。そのユリの元に今年は小さな苗が出てきました。数年後にはこれもオレンジ色の可憐な花を咲かせてくれる事でしょう。
今年は、雨が多く気温も高めなので、蛍が多く舞い飛んでいます。滝本の総代、根本さんの田んぼではゲンジボタルが見られます。私が子供の頃はゲンジボタルが普通に見られましたが、農薬の使用や環境の悪化でほとんど見られなくなりました。数年前から袋田のボランティ団体「四季の会」が協力してゲンジボタルを守るため、水路を整備したりしてきた活動が実を結んだようで活動に参加してきた私も嬉しいです。ヘイケボタルよりずっと大きく明るく光るゲンジボタルの姿は実に美しく人の心を癒してくれます。先日も袋田温泉に泊まっているカップルがゲンジボタルを見に来ていて微笑ましい感じがしました。
西会津の三島町も水が豊かで素晴らしい自然が残る地域です。もちろん、ここでも蛍が舞い飛ぶ様子をみることができます。そして、夏ほととぎすのホトトギスのさえずりが聴こえました。
華は愛惜に散り、草は・・
5月は、各種団体の総会があったり、大阪での梅花流全国大会に参加したり、「春は花」という言葉の考察をする時間もないほど、慌しく過ぎていきました。時折、ガビチョウのけたたましい鳴声が響いてきますが、奥久慈憩いの森の探鳥会でキビタキに会えたり、袋田の滝でオオルリを見つけ、良い感じの写真が撮れたりしました。
さて、「春は花」ということですが、百花の春の様相を示していた境内も、ちょうど、端境期となり、一気に咲いている花の種類が少なくなりました。野に咲くアザミとアヤメの紫と、ヒメジオン白い花が風に舞うぐらいです。「正法眼蔵」を読んでいるといろいろな花が出てきます。梅華の巻、空華の巻、優曇華の巻など、花の名前を題にした巻があり、その他、いろいろな場面で様々な花が登場してきます。大学の頃、先輩に「華は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」という言葉を教えていただき、それが、とても印象深く残っています。正法眼蔵の現成公案の巻の初めの部分に出てくる言葉ですが、これを、道元禅師の戒めと思い、花が散った後の花木の手入を行い、あっという間に伸びる草と戦う毎日です。悟りを修行の結果とせず、修行してるところに悟りが現れるという道元禅師の修証不二の教えをかみしめながら・・・
鳥の鳴声にふと見上げると、緑を深くした桜の樹の上のほうで、境内に設置した巣箱から巣立ったシジュウカラたちが「ツツピー・ツツピー」と賑やかにさえずっていました。
春は花 夏 ホトトギス・・・
ラオスは、東南アジアの他の国に比べ、子どもの物売りは少なかったのですが、ビエンチャンのタート・ルアンやルアンパバン郊外のパクウー洞窟などでは、小さな篭に入った小鳥を売る姿が見られました。お金を払って篭を買い、小鳥を放してあげるというものです。日本では、野鳥の捕獲や売買は禁じられていますので、考えられませんが、東南アジアではこのような光景が見られます。
話は変わりますが、道元禅師が詠まれたと云われているお歌に「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」 というのがあります。この歌は四季の情景をただ詠んだだというだけでなく、道元禅師のあつい思いが込められていますので、「春は花」ひとつをとっても奥の深い解釈が出来ます。ここでは、「夏ほととぎす」にちなんで話を進めたいと思います。
山で見られる夏鳥というと、ホトトギス、キビタキ、サンコウチョウなどがあげられます。ところが、今年袋田に現れ、一番賑やかに鳴いているのは「ガビチョウ(画眉鳥)」という鳥です。大きさはツグミぐらいなのですが周囲に響き渡る大きな声で鳴きます。このガビチョウと「ソウシチョウ(相思鳥)」は、中国や東南アジアで飼われている鳥で、もともと日本にいた鳥ではありません。それが、篭から放たれ自然界で繁殖するようになってしまったのです。ソウシチョウやガビチョウがこのまま繁殖域を広げていくと、ウグイスやホトトギスなど、日本に昔から住む野鳥が駆逐されてしまうだろうと心配する人もいます。
アライグマやハクビシンなどの外来野獣が神社仏閣などの文化財に被害を及ぼしている他、外来の野鳥が都市部の公園で異常繁殖しているという事例も増えています。人間のエゴで昔から日本に生息してきた動物に影響を与えることは、けして好ましい事ではないでしょう。ガビチョウの鋭い目を見てそんなことを考えました。来月は「春は花・・・」のお歌を考察して行きたいと思います。
ガビチョウの画像は住職のブログ「山寺日記」で御確認下さい。
ラオスの輝く目をした子どもたち
ラオスの学制は、小学校5年、中学校4年、高校3年です。そして、希望すれば更に大学に進むことが出来ます。人民民主主義の国ですので教育費は無料です。給食費は自分の家に戻って食べるので必要ありません。制服なども支給されるそうです。ティンソム村の小学校は1年生から5年生まで全校生102名、6人先生が教えているそうです。私たち、曹洞宗茨城県宗務所一行では、現地ガイドさんからそんな情報を頂き、子どもたちに喜んでもらえるお土産として、文房具、折り紙と折り紙の本、サッカーボール、髪留めなどを準備し学校を訪ねました。
まずは、ブンチャン教頭先生の案内で、子どもたちの授業の様子を各教室を回って見学させて頂きました。どのクラスでも、子どもたちが目を輝かせて授業にのぞんでいるのが印象的でした。ラオスでは、絶対的に先生の数が足りないという現状があり、専門の教員養成の勉強をしてきた人だけでなく、それぞれの地域で知識のある人が先生になって子どもたちを教えているそうです。お土産を先生に渡して帰ろうとすると、全校生徒が校庭に整列して、交歓会を開いてくれました。来校記念品とお土産を先生や生徒の代表に渡し、全員で記念写真を撮りました。わざわざ遠い日本からたずねてくれたというもありますが、日本やSVAがラオスの教育支援を行なってきたことは、現地でも高く評価されているので大歓迎されたようです。特に曹洞宗はみんな知ってますとガイドさんが言ってました。
校庭に並んで車が見えなくなるまで、手を振って見送ってくれた子どもたちの笑顔が今も目に浮かびます。立派な校舎は出来ましたが、文房具や本は不足しています。SVAや曹洞宗婦人会では図書館を作る活動や、絵本を贈る運動をしています。それと同時に、実際に現地へ行って人と人が触れ合うことが大事なんだということを感じたラオスの小学校訪問でした。目を輝かせて勉強していた子ども達がどんな大人になっていくのか楽しみです。
ラオスのティンソム村小学校を訪ねて
2月15~20日、ラオス人民民主共和国とタイ王国を旅してまいりました。曹洞宗茨城県宗務所の企画によるもので、ラオスのビエンチャン、ルアンパバン、タイのチェンマイなどを巡り、寺院や歴史的建造物を拝観し、僧侶の托鉢の様子を見学したり、山岳少数民族の村を訪ねたりしました。
今回、ラオスへ行った最大の目的は、小学校の訪問でした。茨城県宗務所や龍泰院では、行事の時などにSVA(シャンティ国際ボランティア会)で行なってる東南アジアへの教育支援に協力してきました。SVAでは、災害が発生した時や緊急支援や食糧支援を行なっていますが、自立を促していく子ども達への教育支援が活動の根幹です。ラオスは、食糧が豊富な国です。メコン川の恵により、お米は年に何度も収穫でき、野菜もたくさん育ちます。庭に植えてあるマンゴーやパパイヤ、バナナの木には美味しい果物も実ります。物があふれている日本よりも、実は豊かな暮らしの営みが行なわれているといっても過言ではありません。
ラオスが必要としているのは、食糧支援でなく、社会基盤の整備、特に安心して学べる校舎の建設なのです。日本のODAにより、ビエンチャンの国際空港は先進国並の立派な空港になりました。しかし、子供たちの学ぶ、学校は草葺屋根の掘っ立て小屋で生徒全員を収容することが出来ない状態でした。熱帯モンスーン気候のラオスでは、雨季になると豪雨があったり、、サソリや大ムカデが生息している環境で、子どもたちは安心して勉強することができません。教育は無償ですが、家庭環境から学校へ行けない子供たちも大勢います。それを憂慮した曹洞宗の関係者が早くから、学校建設や教育支援に動き出していましたが、イオングループがユニセフに協賛して100棟のサクラスクールを建設するなどして、近年、一気に改善されてきました。そうした日本の支援で出来た校舎で学ぶ子供たちの様子を見てこようということでラオスの小学校を訪問したという訳です。
長くなりますので、小学校を訪問した時の様子と感想は来月の法話にに綴りたいと思います・・・
ティンソム村小学校を訪問した時の様子はブログ山寺日記の記事で御覧下さい。
「ごうの寅」って聴いたことありますか?
寅年にちなんで寅に関する事を書いてみます。先日ある方に「ごうの寅」ってどういう意味ですか?と尋ねられました。最近はあまり使われなくなった言葉なので、的確な答えが見つからず、後で調べてみますね!」とお答えし、いろいろな人に聞いてみました。しかし、あいまいな答しか帰ってきません。 そこで、辞書やインターネットで調べた所、本来は「五黄の寅」という言葉であったのが、「ごうの寅」となったそうです。「五黄」というのは、九星のひとつで「九紫・八白・七赤・六白・五黄・四緑・三碧・二黒・一白」のうちのひとつです。この五黄と寅年が重なるのが「五黄の寅」という訳ですが、9と12の最小公倍数である36年に一度やって参ります。昭和61年生まれ、昭和25年生まれ、大正3年生まれなどがそれに当るわけです。こうした生まれ年によって、性格や運命を見るというのは、よくよく考えてみると実にナンセンスな事で、それによって人を差別したり性格を決め付けるのはいかがなものかと思います。 虎は運気が強く、情愛にあふれている!といった良いところを取り入れ、差別につながるような迷信は、気にせず生きていきたいものです。早いものでもう2月に入りました。寅年は駆け抜けるように時が過ぎていきます。来月の法話も早めに考えておかないと間に合わなくなりますね・・・(汗)
虎は千里の道を帰る
平成22年寅年の新春を迎えました。獣の王者である虎は、一日に千里の道を走るといわれています。今年は、冬季五輪やサッカーのワールドカップのある年ですので、選手の皆さんには虎のように力強く活躍していただきたいものです。 さて、月々の法話の、だいぶ前の法話になりますが、2002年12月の法話「ご報告!」それに、2002年4月の法話でふれた彼が昨年12月に結婚式を挙げました。それは、私にとって去年の出来事の中で一番うれしい事でもありました。彼は「ご報告!」の法話に書いたその後、救急救命士の資格をとり、消防士として勤務していましたが、看護師の方とご縁があり、めでたく結婚の運びとなった次第です。お互い人命に関わるしごとですので助け合って明るい家庭を築いて欲しいものです。私も、結婚披露宴に招かれ、一言ご挨拶させて頂きましたが、ちょうど、お母さんが亡くなられて23回忌、思実忌と呼ばれる年にあたりました。お父さんは今年13回忌になります。お父さん、お母さんの思いをかなえてあげた彼、息子の晴れ姿を何よりも喜んでいるのは天国にいるご両親でしょうね。式の時、お世話になったおばあちゃんへの御礼の手紙が紹介された時、私も涙が止まりませんでした。大変な人生を送ってきた彼のそばに、これからは笑顔の素敵な明るい彼女がいてくれるので安心です。 虎は、千里行った道を、子どもを思って帰ってくると言われています。それが、「虎は千里行って千里帰る。」という言葉になりました。今年は虎が子を思うように、家族の絆を大切にして過したいと思います。
耳を傾け心で話を聴いてあげましょう
月々の法話もいよいよ今年のまとめとなりました。うちでは、1月の法話でお話ししたように、正月に「家族の四つの約束」を書いて貼りました。簡単そうで毎日守るのは大変で、守れない日もありましたが、張り出す事で確認でき、日々の暮らしのプラスにはなたっと思います。 四つの中では、一番目の「他の人の話を聞いてあげる。」というのがけっこう難しかったです。 初めての人や、仕事上のお付き合いの人の場合は、きちんと話を聞いていましたが、家族や親しい友人の場合、聞き流してしまったり、他の事で頭が一杯で、ちゃんと聞いていない事がありました。特に、よくしゃべる次女は、いつも自分が話の中心にいないと気がすまない性分なのか、私がちゃんと聞いていないと「おとうちゃん!聴いてるの!」と言われてしまいます。 ところで、「聞く」と「聴く」、2種類の「きく」がありますが、皆さんはどのように使い分けてますか?文章を作成する時、パソコンを使えばワープロ機能で変換候補が示されるので、辞書を引くことも少なくなってきたかと思います。漢字にはそれぞれに意味があります。「聞く」というのは、音や言葉が耳に入ってくる事をさし、「聴く」は、心を落ち着かせ、耳を傾けて、音楽や言葉を聞き取ることを言います。 そういえば、「聞く」は門に耳と書きますが、「聴く」には心があります。「話し上手は聴き上手」「人の意見を傾聴する」などという使い方からも、聴く事の大切さがわかります。面接やカウンセリングの基本も相手の話をきちんと聴いてあげる事だそうです。耳を傾け頷きながら聴いてあげると、相手もいろいろ話してくれます. こどもたちも、難しい年頃になっていきますが、子ども話をじっくり聴いて、向き合う時間を出来るだけとってあげたいと思いました。