YOSAKOI 常陸國大子連、坐禅研修
4月10日、午前8時30分より、地元のYOSAKOIグループ 常陸國大子連の皆さん36名が 坐禅を体験していきました。
4月坐禅会
4月3日、桜が八分咲きとなる中、18名で坐りました。 終了後は、誕生仏に甘茶を灌いでお祝いしました。 次回は、5月1日、朝6時からです
3月坐禅会
3月6日、境内では、白梅が満開です。20名で坐りました。 次回は、4月3日、桜の花は咲いているでしょうか?
2月坐禅会
心配された雪も降らず、冷え込みも弱まってい良かったです。 岡﨑さんが初参加されました。 次回は、3月6日、午前6時からです
一月坐禅会、お雑煮を食べました。
1月3日、今年第一回の月例坐禅会でした。 皆勤賞・精勤賞の贈呈式のあと、お雑煮をいただきました。 次回は、2月7日第一日曜日、朝6時からです。
12月坐禅会、今年も無事終了
12月6日(日)今年最後の月例坐禅会、19名が坐りました。
今年は、10名の方が皆勤賞達成です。
次回は、1月3日、午前6時からです。
寒くなりました・・・11月の坐禅会
11月1日(日)、大子町、6時の気温は1℃、今季一番の冷え込みとなり、ストーブをつけました。
紅葉も良い感じで、滝のあたりは今がピークです。
来月は、12月6日(日)です。今年最後の月例坐禅会になります。
永平寺別院で焼香師を勤めさせていただき・・・
10月27日(火)~29日(木)東京西麻布にある、大本山永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)で、福山諦法禅師御親修のもと、御征忌(ごしょうき)が厳修されました。
今回茨城県祖門会の推薦により、27日の午時献供の焼香師を勤めさて頂くという有り難い御縁をいただきました。
檀信徒・梅花講員など、25名の方に随行して頂き、5名の僧侶にも随伴していただき、無事にお勤めを終えることができました。
午時献供では、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」、いわゆる「観音経」全巻を読みます。大本山永平寺東京別院は、長谷寺という名前からも分かる通り、観音様の霊場です。高さ3丈3尺(約10m)の一本彫りの大きな観音様があります。
ここを、戒場(かいじょう)に、御征忌にあわせて授戒会に準じて三日間の法脈会も行われます。
早めに到着したうちの檀家さんは、他の法要や、巡道、飯台にも付、その一端を体験することができました。
この得難い法縁に感謝し、10月の法話とさせていただきます。
10月月例坐禅会
21名で坐りました。
気温が10℃ さわやかな朝の坐禅でした。
文雄さんが、常総市へボランティアに行ってきたときの話をしました。
盛くん、菊池盛昌さんとのこと
9月も今日で終わりです。9月の法話は、先月から構想をまとめておいたのですが、なかなかアップできずにいました。夏休みの宿題みたいに最後の晩に書いてます。
先月の末に、菊池盛昌さんの追悼コンサートがまいんであり、私もステージに登り、思い出のスピーチをさせていただきました。
不自由な体で、50号、100号といった大作から、卓上に飾れる絵やコンピュータ画まで、たくさんの絵画を残されました。また、シンセサイザーを駆使して、音楽も創り出しました。本当の意味でのクリエイターであり、芸術家でした。彼は、心の中にあったものを泉が湧き出るがごとく作品にしていきました。不自由な体で、自由に表現できたのは、お父さんである菊池国夫さんやご家族、そして、絵筆が持てなくなった盛くんに、特殊なマウスを使ったドット打ちの描法を教えてくれたパソコンの先生方の力添えがありました。
今月、菊池国夫さんが、盛昌くんが、平泉に行った時、中尊寺を見て感動して描いたという50号の大作「金色堂」を龍泰院の本堂に奉納入してくれました。私は、インターネットを通して、彼の不自由さを意識することなく、交流をさせていただき、龍泰院開山480年を記念して作ったポロシャツのデザインをお願いしたりしました。実際に彼と会っている時は、言葉がわからず、国夫さんの通訳が必要でしたが、ネットでは普通に会話が成り立ちました。かれは、平成26年1月2日に亡くなってしまいましたが、彼が不自由な体で自由に描いた作品の数々は、多くの人を勇気づけることでしょう。そんなことを感じながら、奉納された金色堂の内部を描いたその絵を眺めていました。
9月坐禅会、引き続き、総合防災訓練を
9月6日(日)、21名でお経を読んで、坐禅を組んだ後、サイレンを合図に龍泰院総合防災訓練を行いました。
避難誘導訓練をおこない、文雄師による、AEDの講習会。続いて、消火器の使い方を住職が説明しました。
次回は、10月4日(日)午前6時からです。
戦後70年に思うこと・・・
今年は、先の大戦が終わって70年ということで、TVなどでも様々な特集が組まれました。
実は、茨城県にはたくさんの戦争遺構があります。
笠間市にある筑波海軍航空隊記念館は、映画「永遠の0」のロケ地にもなり注目されました。
実は、3月いっぱいで建物の公開は終わる訳だったのですが、多くの存続希望の要望が寄せられ現在も公開されています。
新たに、地下司令部の遺構などもみつかり、日本国内に残っている最大級の戦争遺構であることがわかってきました。
また、茨城県には阿見町に予科練平和記念館もあります。土浦から5kmほどなので、首都圏からの交通の便も良いです。
展示品は、胸を打つものばかりです。皆さんにもぜひ訪れていただきたいと思います。
安倍総理でさえも昭和29年生まれ、私も父は戦争に行きましたが、
戦争のことは、伝え聞いただけです。
平和の尊さ、命の大切さ、家族を思って戦地へ赴いた方々のことなど、次の世代へと伝えていかなければならないと感じた夏でした。