月々の法話

月々の法話

人生に余生はない

「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしますか!」などという言葉を聞くことがあります。 ところで、余生ってなんでしょうか?人生の余った生? 道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれています。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのです。 日本も、これから高齢型社会になっていくことが予想されます。生きがいをもって、余すところなく、人生を楽しく過ごしてもらう為にも、社会奉仕は重要なことだと思います。 久慈川の名勝「たきなご」を眺められる国道118号線のロードパークは、地元久野瀬地区の老人会の方が毎週清掃活動をしています。おかげで、いつも、綺麗に気持ちよく通ることが出来ます。年をとっても、自分で出来ることを、自分なりに勤めていくということが、重要なことだと思います。 お釈迦さまは、80歳で亡くなられるまで、説法の旅を続けられました。余生をノンビリなどとは考えなかったでしょうね。
2003-10-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

山を守る

龍泰院の裏山は、コナラ・カシ・クリ・サクラ・モミジやさまざまな種類の樹が混在する雑木林です。雑木林というのは、放っておけば自然になると思われがちですがそうではありません。 以前は、晩秋には堆肥用に木の葉さらいなどをしていましたし、定期的に切り払って更新をしていました。それを、木炭やキノコの種木など広範囲に利用していたのです。 大子では、八溝どんぐりの会(会長戸辺洋一さん)や、大子に森を創る会(会長岩佐寿弘さん)などのボランティア団体が、山を守る為にいろいろな活動をしています。私も会員の一人として、8月31日に、植樹地の下草刈り払い作業に参加したのですが、どんぐりから育てた1.5m程の苗木が、葛やツタや下草に覆われてました。放っておけば、藪になってしまうでしょう。実際に作業に参加してわかった事ですが、あらためて、山を守るということが大変なことだと感じました。 曹洞宗でもグリーンプランというスローガンで、環境問題に取り組んでいます。全国各地でいろいろな取り組みをしています。大切なことは、地球の環境を守るというのは、一人一人が自分の問題だと感じること、未来の人への責務だと感じることだと思います。 最近は異常気象があたりまえのことになったといわれています。すでに自分の問題になっているのです。身近なことから、出来ることから、初めてみませんか!
2003-09-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

ゴミを捨てないで!

夏休みには、家族や友達と出かける機会も多くなることと思います。そんな時、気になるのが道ばたのゴミです。コンビニエンスストアーの袋に入ったゴミや空き缶、タバコの吸殻などが、道路や駐車場、農地などに捨てられています。自分だけがよければ人のことは考えないというエゴイストの行動です。 仏様の教え(戒律)や自律する心があれば、そんなことは出来ないはずです。自分自身をきちんとコントロールできない人が増えているようです。 ゴミを道ばたなどに捨てる人がいれば、それを拾う人もいます。ゴミを拾うボランティアも一つの菩薩行です。私は、機会を見つけては、子供たちとゴミ拾いボランティアをしています。地域の清掃活動なども大切なボランティア活動です。子供の頃にゴミ拾いを経験した子供は、大きくなっても掃除する人のことを考えられる人間になれると思うのです。 エゴイストからセルフコントロールのできる人、さらにボランティアのできる人。人間としての成長のキーワードです。
2003-08-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

一期一会の大切さ

6月13日より20日まで、秋田県内の八教場にて、梅花特派巡回をさせて頂きました。秋田県宗務所の皆様、師範・詠範の皆様、教区寺院の皆様、講員の皆様に大変お世話になり、無事に全日程を勤めることが出来ました。 秋田県と茨城県は、佐竹公のご縁で、お寺同士もいろいろ結びつきが深いです。また、現在秋田県宗務所の梅花主事近藤俊貞老師とは、梅花流師範養成所第5期で一緒に梅花を勉強した仲です。 そして、おどろくことに、梅花主事さんの自坊と同じ秋田県第3教区にある、竜源寺さんというお寺は、私の法曽祖父斎藤道痴大和尚の師寮寺でありました。今回、講習と移動の日程の為、拝登することはできませんでしたが、初めての巡回地が秋田県だったということに不思議なご縁を感じずにはいられません。 今回の梅花特派で、多くの方と一期一会のご縁を結ばせて頂きました。どんなに大勢の会場でも、基本は一対一の人間関係だといわれます。人生において出会う、お一人お一人とのご縁を大切にしていくことの大切さを学んだ巡回でした。
2003-07-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

菩薩がいた!

お堂などにまつられている像だけが菩薩というわけではありません。気をつけて見ると、世の中のあちらこちらで菩薩を見つけることが出来ます。私は、先月たくさんの菩薩を拝むことが出来ました。 茨城県曹洞宗青年会では、茨城県横断慰霊行脚を行いました。5月13日に結城市を出発、交通事故撲滅を願いながら、大洗まで5日間かけて歩いたのです。5年前、私が会長だったときに、北茨城市から守谷町まで縦断して歩いたのがきっかけで始まり、今回は横断に臨んだというわけです。 会長の中島竜平さん、前回と今回、全日程を歩ききった、曽根田宏道さん、米澤智秀さん、それに時間を見つけて参加した大勢の青年僧侶、みなさんが大衆とともに歩いたのはまさに菩薩の道です。 秋田県大館市の樹海ドームで行われた、梅花流全国奉詠大会にも菩薩がいました。秋田県曹洞宗青年会の佐藤道昭会長さん、それに会員の青年僧侶の皆さんです。 道昭さんは、場外誘導の任にあたられました。二日間に訪れる15000人の方とバスを事故なく、速やかに誘導しなければならない困難な任務です。朝の6時から4時まで、30度をはるかに超える駐車場での大変な仕事だったのにもかかわらず、彼はいつも笑顔で、全国から参加された講員さんに接していました。 私も、特派師範の配役で、同じ場外誘導係となり、全国大会を手伝ったことで、本当に大勢のスタッフの菩薩行でこの大会が支えられているということを、肌身に感じることが出来ました。 6月1日の坐禅会の朝、前夜の風雨はうそのようにおさまっていました。でも、本堂の入り口は、びしょぬれです。ふと見るとそこに掃除する母の姿が!全国大会で講員さんを引率して、疲れているはずなのに、足が痛いはずなのに・・・。その母の姿に私は涙が止まりませんでした。私は、私のすぐそばにいた菩薩を見逃す所でした。
2003-06-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

鉄腕アトムの世界

2003年4月7日に鉄腕アトムは生まれるという設定で、手塚治虫さんのマンガ「鉄腕アトム」は書かれています。 わたしが、子供の頃「鉄腕アトム」はテレビでも放送され、私も毎週楽しみにみていました。鉄腕アトムの活躍する時代、21世紀の世界は、高層ビル群がそびえ、ビルとビルとはパイプ状の通路で結ばれ、人々が自由に行き来しているイメージで描かれてました。いよいよその時代がやってきたわけです。しかし、我が家の周りには田んぼや畑があり、自然のままの山々が連なっています。インターネットやオートメーション化で暮らしは便利になりましたが、ロボットが身の回りの雑事を変わってくれるような社会にはなっていません。 高層ビルの中よりも、私は、田舎の方が落ち着きますし、自分で畑を耕し、作物を育てることに喜びを感じます。曹洞宗では、人権・平和・環境を教化の柱として命の尊さを知り、共に生きることをめざしております。また、地球環境を守り、自然と共に生きていく全曹洞宗の運動「グリーンプラン」を展開しております。便利になるのはいいことですが、自然の中で人間らしく暮らすのも大切なことだと思います。新緑の中みなさんも、自然にふれあえる山や海に出かけてみませんか? 鉄腕アトムの誕生日にこんなことを感じました。
2003-05-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

72年に一度の大祭

茨城県の久慈地方で、3月下旬に72年に一度という金砂神社の大祭礼が行われました。山の上にまつられている東西の金砂神社のご神体を、72年一度、日立市の水木浜まで、500人規模の行列を組んで神輿に乗せて担いで行き、海水で清めるという謎の多い神事です。途中、各所で神事や金砂大田楽という舞が披露されます。「金砂神社磯出大祭礼」と呼ばれますが、全国的にも最大規模で72年毎というのも非常に珍しい祭礼だそうです。 72年に一度しか見られませんので、一度でも見られた人は運がよく、二度見ることが出来た人は最高だとか・・・。そういえば72年という年月はおよそ人間の一生に相当します。今回、大祭礼に出逢い、自分の一生を考えた人も多いのではないでしょうか?私も、次回の2075年を想像してみました。私自身は115歳、子供たちはそれぞれ84歳、77歳、75歳になってるはずです。私の115歳はほとんど可能性がありませんが、子供たちの未来を想像するとどんな時代になっているか楽しみです。 一日一日を積み重ねて、それが72年の歳月を刻むわけです。人間の一生はやっぱりすばらしいことだと思います。
2003-04-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

祖母の思い

私の父には、すぐ上に兄がいました。本来ならその人が龍泰院の住職になるはずだったんでしょうが、8歳の時に交通事故で亡くなってしまいました。昭和5年の2月17日のことです。 もちろん車などめったに通らない時代でしたから、運が悪いということで済まされてしまったのでしょう。 しかし、突然長男を失った祖母の悲しみは深く、そのせいで、すっかりやつれ、白髪も増えてしまったそうです。私の記憶にある祖母は、真白な髪の上品なおばあさんという印象です。実際の年齢よりも年をとって見えたのはそういう理由だったからでしょう。 小さい頃私は、いつもコタツに入っている祖母に見守られていました。偶然2月18日に生まれてきた私を、わが子の生まれ変わりかと思ったのかもしれません。私が生まれた時、祖母はとても喜んでくれたそうです。 私が小学校に入学する直前の昭和41年の2月27日に66歳で亡くなった祖母ですが、いつも、どこかで私達を見守ってくれているような気がします。
2003-03-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

こどもから大人へ

こどもから大人に成長していく過程で、人間は、「どうして自分は生まれて来たんだろう?」という疑問にぶつかるそうです。そうした心理が反抗期とかといった形であらわれるそうです。ひきこもりや定職につかないなど、大人になりきれない若者が増えているといいます。自分の存在価値という疑問を解決できない人が増えているからではないでしょうか? 自分が生きている意義というのを見つけ出すのは容易なことではありません。その疑念を解決していくうえで、一番身近にいる大人、すなわち親の存在が大きいといえます。言葉ではなく、親のいきざま、その後姿に、こどもは、自分の生きている価値を見つけ出すのでしょう。 禅の生き方は「ただひたすらに」です。与えられたその日一日の生命を精一杯生きる。これも一つのヒントになるかもしれません。
2003-02-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

365日!

みなさん! 新年明けましておめでとうございます。平成15年、2003年の幕開けです! 今年の残りの日ですが、元日にはまだ、365日あります。明日になると一日減り、あさってにはまた一日と減っていきます。 そう考えると、元日は一番今年の残りが多い日ですよね。まだ、365日もあるわけですから・・・。 一日一日の長さは変わらないのに、長く感じたり、短く感じたりする、本当に一日は不思議です。 「一日の身命は尊ぶべき身命なり、」 道元禅師はこう述べられております。 今日の一日をどう生きるかそれが禅僧の命題でもありました。一日一日を大切に生きていく!やはりそれに尽きるのではないかと思います。 でも、やっぱり元日は一番のんびりできる日であります。でも、元日にすべきことをきちんと元日のうちに行うことが大切です。そのその日に行うべきことを行っていかないと、あっという間にすぎてしまうのが一年365日です。今日という日を大切に生きていきましょう!
2003-01-01 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

ご報告!

4月の月々の法話でふれた、事故の犠牲者の中には、地元の消防団員として、警備にあたっていた人も含まれていました。、清和くんのお父さんもそうでした。事故の時、祭りの列に突っ込んでくる車に気がつき、最後まで止めようとして事故にあったそうです。 お母さんは、弟の亮輔くんを生んだ時に亡くなってしまっていたので、お父さんは、おばあさんと二人の子供を育てていたのです。その大黒柱のお父さんを失ったことは、とても残念でたまりません。 清和くんは、お父さんを亡くした時、「自分も大きくなったら、人を助ける仕事につくんだ!」と誓ったそうです。その時中学2年生だった彼も今では、高校三年生!救急救命の仕事を学ぶ学校に進学することが決まりました。この場をお借りして皆さんにご報告致します。皆さんも交通遺児の子供達を応援してあげてください。
2002-12-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed 

 

うどん打ち

11月1日、今年も大子養護学校の地域交流会があり、常陸大子ライオンズクラブの10人のメンバーで参加しました。今年はうどん打ちということで、私も、のし台・めんぼう・こね鉢などを持参してのぞみました。前夜私が仕込んだ分は、腰があって、伸ばすのがたいへんでしたが。こども達に踏んでもらい、めんぼうで延ばしました。麺を延ばす岡野さんと私は寒いのに汗だくです。 当日、仕込んだのは、柔らかめにしたので、子供たちも延ばすことができました。積極的に手をだしてやってみる子もいれば、先生や私たちに促されて、恥ずかしそうに手を伸ばす子など個性はいろいろです。 でも、水回しやこねる作業、延ばすのも全員に関わってもらいました。 ケンチン汁も、みんなで材料を切りました。大きいのや不ぞろいのもありましたが、それがまた面白いです。 出来上がったケンチンうどんを、生徒と先生とお手伝いしたライオンズクラブのメンバーで一緒に頂きました。みんなで力をあわせたので、とても美味しい手打ちうどんになりました。 「来年もまた来るよ!」とこども達と約束して帰りました。
2002-11-02 | Posted in 月々の法話Comments Closed