相手の立場を思いやる心
「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪・・・」
昭和28年に、春日八郎さんが歌って大ヒットした「お富さん」という歌ご存知ですか?最近になって初めて一番の歌詞の最後に出てくる「玄治店(げんやだな)」という言葉が、江戸時代初期の名医、岡本玄治に由来する地名であると知りました。
岡本玄治は、三代将軍家光公の疱瘡の治療をする際、春日局のクレームにも毅然として対処し、見事に治したことから名をはせたと言われています。「医は仁術なり」といいますが、現代社会では、そうした医師へ対する尊崇の念が薄れてきていると思わせる様々な事案が起こっているようです。
たとえば、緊急性が無いにもかかわらず救急車を利用したり、また、病院の中だというのに些細なことで怒り出す人、医師や看護士に食って掛かる人も増えているそうです。救急車で運ばれた人を治療したが、患者が治療代を払わずに逃げてしまったり、そのほかにも治療費を払ってもらえず未収になっている問題も増えているそうです。
地方では医師不足も心配ですし、高度な医療を受けられないという問題があります。いずれにしても命に関わる問題ですので、みんなで考えていかなければならないと思います。
お金が無いわけでもないのに子どもの給食費を払わない親、自分や家族の治療費を踏み倒す人、以前は考えられなかった話しです。自己中心的な考えの人、自分に都合のよい理屈を捏ね回す人が増えているのだと思います。
相手の立場を考えられる心、思いやり、謙虚さ、これらの心を育んで頂きたいと思うのですが・・・
大きな心
大悟寺さまでの、典座の話しに戻ります。今回の上げ膳では食材にこだわり、北海道の農産物や海産物、それと茨城の農産物など国内産で安心できる食材を多く使いました。現地で調達してもらったカボチャが茨城産の那珂カボチャだったのにはびっくりしましたが、他にも人参や納豆など茨城産のものが出回っていて嬉しく感じました。
煮物に使ったカボチャは前日手伝いの女性の方に切り込んでもらいました。一応私が面取りをした見本を示して、このように切り込んで下さいと指示したのですが、大勢で切り込んだので形は様々です。以前の私でしたら、後から自分で手直しして均一に整えたかもしれません。でも、この時はなぜかいろいろな形があっても良いかな?と思いそのまま煮ました。
カボチャの煮物は火加減が難しいです。形を気にしすぎると堅いところが残ってしまうし、火を加えすぎると煮崩れてしまいます。この時も火を止めるタイミングが遅れてけっこうに崩れたのが出てしまったのですが、多めに切り込んでもらったので盛り付けるだけの数を確保することができました。十分に煮たカボチャは美味しいと評判でした。
「大山や大海のように高く、広い思いをもち、一方に片寄ったり固執せず差別することのない平等で大きな心」を大心といいます。駅や街角、店先で些細なことから大きな事件が起こる世知辛い世の中になってきています。大きな心!少しだけでも心に余裕を持って人に接したいですね。
老婆親切
8月に入りました。田舎はお盆の季節です。昔ほどではないにしろ、田舎にはおせっかいなおばさんが大勢います。人のすることが、気になって口を出したり、おせっかいなことをしてしまいます。「うっとうしいなぁ」「放っておいてほしいのに」と思うときもありますが、このおせっかいが本当にありがたく感じることがあります。
「老心」すなわち、「老婆親切」とは父母が切々と子を思い、我が身の寒さや熱さをうち忘れ、子の健やかなことを願いながら慈しみ育てるような親切心をいいます。
そんな子を思う親心やその思い出がつまったふるさと、実家へ帰ると懐かしさとともに、そんな思いを感じるのではないでしょうか?私も、子供の頃うっとうしいと思った親心をありがたく感じられる歳になってきました。心が疲れてしまた人を温かく迎え癒してくれるのが、ふるさとなのではないかと思います。
私にはふるさとが無いという方も中にはいるでしょう。でも、都会育ちの人は都会がふるさとです。そして、おとうさん、おかあさん、お祖父さん、お祖母さんの代へさかのぼればほとんどの人にふるさとがあるはずです。夏休み、そうした心の故郷を訪ねてみませんか?それでも、ふるさとが無いという人は、日本の原風景がある奥久慈大子を訪ねてみて下さい。おせっかいなおばさんが大勢いますよ!
喜心・老心・大心
6月21日に北海道へ渡り、22日から24日まで中川町の大悟寺さまでの晋山結制の典座職を勤めてきました。典座(てんぞ)というのは禅寺で料理を作る係りの僧侶です。副典(ふくてん-助手)として同行してもらった甥とお寺の近所の女性の方にお手伝いをしていただき、22日のお昼から24日の昼食まで、随喜僧や親戚、役員さん方の食事を作ったのですが、本当に勉強になりました。
家を出る時、道元禅師の著作である「典座教訓(てんぞきょうくん)」をカバンに入れました。「典座教訓」をあらためて読み直すなかで「喜心」・「老心」・「大心」という言葉に辿りつきました。私が、常日ごろから座右の銘としている言葉の一つです。道元禅師は料理を作る時はこの心を忘れてはいけないと申されています。
食事を準備する上で大変なのはご飯を炊くということです。今回は本当に沢山のご飯を炊きました。23日には130人分の五目御飯を炊き、24日には、随喜寺院上膳折詰と参列者用赤飯折詰弁当用の360人分のお赤飯を蒸かしました。前日、夜遅くまでかかって仕込み、当日は、手伝いの女性の方に朝早くから蒸かして頂きました。大量のガスを使い続けたため安全装置が働き、ガスが止まって作業が中断するアクシデントもありましたが、無事に法要の時間にあわせてお出しすることが出来ました。
随喜寺院さまや参列者の皆さん方の食事が一通り終わり、ある程度片付けをしたところで、お手伝いの方と一緒に自分達作ったものを食べてみました。その時食べたお赤飯の美味しかったこと!私が思わず「このお赤飯おしいです!」と言ったら、それを聞いた赤飯蒸かしの責任者として頑張ってくれた方が、涙ぐんでました。他のお手伝いの方々も「美味しい!美味しい」と言って食べてました。「もし、ご飯が時間までに炊けなかったらどうしよう・・・。硬かったらどうしよう・・・。」そんな不安がありました。もし、ご飯が炊けなかったら大変なことになってしまいます。汗だくになりながら、助け合いながら頑張ったことで、大きな達成感と喜びを感じたのです。「喜心」というのはこういうことなんだ!私はそう感じました。食べる方に喜んで頂きたい。美味しい料理でもてなしてあげたい!そうした思いで懸命に料理を作ったことが感動を得られたのだと思います。
平成20年4月に厳修される大本山永平寺三世徹通義介禅師の七百回大遠忌の主題となっているのが「喜心」・「老心」・「大心」の三心です。食の重要性が見直されつつある今、「典座教訓」に学ぶことは多いと思います。
来月は「老心」すなわち「老婆親切」についてお話しさせて頂く予定です。
大悟寺さまの晋山結制の様子は山寺日記で御覧下さい。
やっぱり地球が変!
毎年5月に裏庭の池掃除をしています。自動車を洗車する時使う、ジェット水流洗浄機でノロや水垢を吹き飛ばしているのですが、今年は、例年になくノロが成長していて、なかなか取り除くことができませんでした。原因は、記録的な暖冬のせいかと思いす。そういえばこの冬はほとんど池に氷が張らなかったのです。今の池を作って15年経ちますがこんなことは初めてです。
やはり5月に、光化学スモッグで運動会が中止に!というニュースが流れました。光化学スモッグ、久しぶりに聞く言葉です。大気汚染が一番ひどかった私の少年期には「光化学スモッグ注意報」が暑い日によく出ました。私は、空気のきれいな田舎にいたので他人事でしたが、それがまた聞かれるようになるとは驚きです。今の光化学スモッグの原因となっているのは日本国内の大気汚染ではなく、中国大陸から偏西風に乗って流れてくる汚染された空気だといわれています。また、黄砂も大量に飛んできています。こちらは、黄土大地の乾燥化が原因といわれています。
6月といえば梅雨の季節です。日本の梅雨はヒマラヤ山脈から中国へかけての地形が大きく影響してることがわかってきました。インドは雨季に入り、お釈迦様はその時期を雨安居として修行をしました。インドと日本のつながりはいろいろなところに見られますが、気候的にもつながっていたようです。
もはや、環境守る取り組みは日本だけで行なっても意味がなくなってきています。温暖化対策は世界の国が協力して初めて効果が出てくるのです。南極や北極の氷が、ヒマラヤやアルプス、アンデスの山やアフリカのキリマンジャロなどの氷河などが溶け出しているという話題も届いてきています。やっぱり地球が変!そう思えてなりません。地球を守るのは地球上に生きる、一人一人の心がけにかかっていると思います。なんとか人類の叡智を結集していきたいものです。そして自分自身も地球に優しい生活を心がけたいと思います。
昭和という時代を忘れない
今年から4月29日が「昭和の日」になりました。私が子供の頃は「天皇誕生日」そして平成になってからは「みどりの日」そして、これからは「昭和の日」と呼ばれることになりました。平成も19年になり、昭和がだんだん遠くなります。終戦の年からは62年が過ぎ、戦争を体験した人も減ってきています。
このたび、私が、ミャンマーへ戦歿者の供養に行かなければ!と考えたのも、毎年御供養している当院檀中の戦歿者の中に、ミャンマーで戦病歿された方がいたからです。そして、そのご家族からいろいろなお話しを聞くとことができました。先輩方から聞いてきたこと、自分が感じたことを次の世代へと伝えていくことは大切なことだと思います。
実際に現地へ行って見聞したミャンマーの人たちの暮らしぶりは、昭和30年代までの日本の暮らしのようでした。高度経済成長で失ってしまったものが残っていたミャンマーでの体験はいろいろなことを教えてくれました。そして、自然環境を大切にして、共存共栄していかなければ人類の未来は無いと思いました。
私は、自分ができることを実践していくことが大事だと常々考え行動してますので、ただ、昭和という時代を懐かしむだけでなく、築いてきたものや大事にしてきたものを次の時代に伝えていきたいと思っています。それが昭和という時代に生まれた者の責務であると思います。
仏陀への信仰
先月に引き続き、ミャンマーのお話しをさせて頂きます。
ミャンマーで一般的に信仰されている仏教は、中国や日本へ伝播した大乗仏教ではなく、部派仏教とか上座部仏教と呼ばれる仏教です。インドの東隣の国でありますから、お釈迦様当時の仏教がそのまま伝わったかというとそうでもありません。大乗仏教の特徴である観音菩薩や文殊菩薩などの菩薩こそ登場しませんが、古い時代の仏教にはなかった仏塔や釈迦像、涅槃像に対する信仰もあります。それはすなわち、時代がたってからインドの仏教が伝わった証拠でもあります。
何よりミャンマーを訪れた外国人が驚かされるのは、黄金に輝く巨大な仏塔です。そして、それが人々によって寄付された金箔を貼ることにより輝いていると知るとさらに驚くことになります。大変貧しい生活の中でも人々は仏に功徳を積もうと仏塔や仏像をに金箔を貼ります。一生をかけて寄付を続け功徳を積むのです。
ミャンマーでは人が亡くなると僧侶を招き一週間僧侶に食事を供養し、お経を上げてもらうそうです。そして、その時、それまでの功徳を僧侶によって証明してもらうとのことでした。
すなわちミャンマーの仏教徒は、生まれてから死ぬまで、仏さまの教えにしたがって生きていくのです。悪いことをすると罰が当たる。そう信じているので仏様を裏切るようなことはしません。日本でも昔はそれがあたりまえでしたが、今は、つかまらなければ、ばれなければ何をしてもかまわない。という考えで悪いことをしてしまう人が増えています。日本人が誰もが持っていた道徳心が失なわれつつあるのは大きな問題です。われわれ宗教者や教育者がもっともっと努力していかなければならないと思いました。便利な生活と引き換えに日本人が失ってしまったもの多さをミャンマーへ行って気づかされました。
インレー湖 水上に暮らす人々
2月19日に出発し、ミャンマー連邦へ戦没者の慰霊と、仏跡巡拝の旅をしてきました。黄金のパゴダが見事でししたが、一番印象に残ったのは、人々の暮らしです。
特にインレー湖という湖の周辺で暮らす人たちの暮らしぶりが心に残りました。雨季と乾季で4mも上下する水面、人々はそれに合わせて、浮島の畑までも上下させてしまいます。生活用水はもちろんインレー湖の水です。洗面、沐浴、炊事、洗濯などはすべて水上の家から下へ降りてきて行なわれます。トイレも水洗といえば、聞こえは良いですが、そのままインレー湖に流されます。それが、魚の餌になったり、畑の肥料になったり、すなわち、循環型の生活環境が完成しているのです。小舟を足で操る漁師や櫂を上手に扱う子ども達、まさに、湖と一体になった水上生活がそこにはありました。子ども達には笑顔があり、人々は明るいです。
しかし、この生活をいつまで続けられるのか、心配もあります。ミャンマーの大地にジャングルはもはやありません。赤茶けた土地が広がっています。チーク材などの用材は切り出され、雑木は燃料として燃やされてしまいました。乾季にはほとんど雨が降らないミャンマーでは、人が植林をしないと樹は育たないのです。また、周辺の住民や観光客が液体洗剤などの化学洗剤を使い始めたらこの水は死んでしまいます。微妙なバランスの上にやっと成り立っているのかもしれません。
将来、インレー湖の美しい水が減少することが予想されています。また、最近、雨季には異常な水位の上昇がみられるそうです。地球上の宝物のようなインレー湖の暮らしがこのまま続くことを願いたいものです。
画像は住職のブログ山寺日記「インレー湖!水上に住む人々」で
とらわれない心
今年に入ってからも、凶悪事件が多発し、殺伐とした世相を感じます。一月だけで昔だったら年間10大ニュースに入るだろうな!と思われる事件がいくつもありました。
さて、お釈迦さまがインドの大地で説かれた仏教は、やがて、大乗思想の登場で劇的な変化を遂げます。その中で、涅槃経、唯摩経、それにぼうだいな般若経典群が編み出され思索が展開されます。
大乗仏教の特徴は在家主義と「空(くう)」の思想にあらわれてます。この教えは、経典を持ち帰った羅什三蔵や玄奘三蔵によって訳され、中国へと伝えられます。彼らは、そのお経を従者を使わず一人で背負って来たというから驚きです。
やがて、時代が過ぎて、達磨大師によって、禅宗と呼ばれる大乗仏教が伝えられます。禅宗では「無(む)」の思想が重要視されます。中国禅宗では、空や無についての思索が広がり、禅問答という形で展開されていきました。
史上の初の禅問答は、梁の武帝と達磨大師の問答です。「いかなるかこれ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)」と聞かれたのに対し、達磨さまは、「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えます。仏教の一番重要なところを問われて、[からっとしていて何も無いよ!」と答えた達磨大師。しかし、武帝はその意味を理解できず、達磨大師は、少林山で壁に向かって九年間坐禅をします。そうした中で達磨大師は二祖慧可大師を得ます。やがて、一華五葉に開くと評されるように達磨大師の教えは、中国各地に広まり一種の禅ブームの時代が訪れます。
その中で多くの禅問答が交わされました。禅問答は、対機説法でもありますので、正解はひとつとは限りません。おなじ問をされても、相手によって答えが変わったり、同じ人に対しても違う答え方をしたりします。また、一喝したり、棒をふるったり、物を壊したり、相手を馬鹿にしているようにも見えますが、そこには、とらわれない自由な心を培うための愛情があります。
先月の山寺日記で4回に渡って禅問答についての理解を深めていただく為の記事をアップしました。よかったら御覧下さい。
住職のブログ「山寺日記」
禅問答というと、普段の生活に関係ないと思われるかもしれませんが、ひとつのことに、考えがこりかたまり、回りが見えなくなっている人たちをみると、「もっと自由な、とらわれない発想が出来ないかな?」と思ったりします。禅語には「本来無一物」という言葉もありますし・・・
ふるさとに思う・・・
あけましておめでとうございます。今年の一月から自動車運転免許証にICチップが組み込まれ、それにともない、本籍地の表示がなくなるそうです。
そういえば、本籍地って何だろう?私は漠然と生まれた場所だと思っていましたが、連れ合いの運転免許証も私と同じです?同じ戸籍に入っている連れ合いは当然本籍地も同じなのです。
実家を本籍地にしている人も多いでしょうが、制度上は戸籍を置く住所というだけですので、日本のどこへ本籍を置いてもいいそうです。
制度上のことはさておき、転勤や住所変更の多い人は、本籍地というのは、やはり実家であったり、一番思い出のある場所ではないでしょうか?お正月を故郷で過す人もいれば、海外で過す人もいます。どこで過すにしても、故郷に思いを巡らすのがお正月かもしれません。
昨年は、飲酒運転による重大事故が続発し、運転者だけでなく、同乗者やお酒を勧めた人への責任も追求されるようになりました。ICチップが組み込まれた運転免許証はかなりの優れもので、個人の特定や経歴も即座に読み取れるようです。運転免許証の偽造や悪用は不可能になるでしょう。そして、命を預かる重みを胆に命じ、マナーを守ってハンドルを握って頂きたいと思います。命の根源は故郷にあります。今年は故郷がキーワードになるかもしれません。
はじめからうまくはいかないよ!
今年もいよいよあと一月を切りました。なにかを成し遂げた人、結果が残せなかった人などそれぞれかと思います。
皆様もよく聞く古典文学作品「徒然草」の第150段に次のような言葉があります。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
さて、その意味は、芸を習う人が人前での失敗を恐れて、誰にも知られないように練習し、うまく出来るようになってから発表しよう!などと考えているとしたら、けっして芸を得ることが無い。ということです。
吉田兼好法師の言葉は、我々に勇気を与えてくれます。人は、とかく人前での失敗を恐れて、舞台にたつことをしり込みしてしまいますが、失敗を恐れることは無いのです。失敗は成功のもと!という言葉もありますが、何事も最初からうまく出来るはずはありません。人前で恥をかいて、冷や汗を流して、それを積み重ねて上達するのです。
道元禅師も「正法眼蔵」-説心説性-の巻で「今の一当は百不当の力なり」と述べられています。すなわち、百不当の失敗は、恥ずかしいことでは無く、それこそが尊いことだ!ということをおっしゃられています。
皆さん、失敗はするものです。それを恐れて前へ行くことをためらっては何事も成さないのです。
能をつかんとする人は、兼好法師の言葉を、そして、道元禅師の言葉を糧に、前へ進んで行こうではありませんか!2007年(平成19年)がやって来ます。何かに挑戦してみませんか何も心配することはありません!だって、何事も、はじめからうまくはいかないのですから。
タイ王国との交流
地元大子清流高校が大子一高の時代も含め、13年間進めてきた、タイ王国の高校との相互ホームスティの受け入れで、ダウンちゃんとミンちゃんという二人の高校生を10日間お預りしました。タイの文化、習俗のいったんにふれて本当に学ぶことが多かったです。
タイは仏教国です。娘のmiyokoが「うちはお寺だよ」と説明したら、「どうしてお寺に娘がいるの?」と聞かれたそうです。さらに、うちにいるときも、「托鉢に出ないの?」と聞かれたとか・・・
そう、タイの仏教は、お釈迦様在世当時をそのままのように行う部派仏教です。出家しお寺で過ごし、朝の祈りの後、村々に托鉢に出るのが日課です。それに対して、日本の多くは大乗仏教、在家主義の仏教です。在家信者である檀信徒とともに過ごし、その檀信徒に生活を支えられているというのが特徴です。ダウンちゃんは、敬虔な仏教徒ということで、「うちでは、宗教の関係で牛肉は食べません」と言われました。「うちは、仏教なんだけど焼肉食べてるね!」うちの子ども達・・・。
タイの娘さん達を通じて、タイでは仏教が大事にされていることを感じました。
彼女達は、7歳位から英語を学んでいるそうですし、パソコンも習っているので、私のパソコンを貸してあげたら、自宅にホットメールでメールを送ったり、メモリーカードでデジカメの画像を編集したり、日本の同世代の高校生より、進んでいました。
タイ語は発音が難しく、コミュニケーションは片言の英語になります。電子辞書を片手にいろいろな事を聞いたり、日本の歴史や文化、伝統的な食生活を説明してあげました。
いろいろ、ありましたが、15歳、現代っ子である女の子です。ハンバーガーが好きだったり、遊園地が好きだったり。食べ物の問題も、習慣の問題も、思ったほどのトラブルもなく無事帰国させてあげられてほっとしています。若いうちにこうした交流をするのは、大事なことだと思います。miyokoも最初はうまく通じなかった英語が、見る間に話せるようになりました。習うより慣れろとはまさにこのことです。12月にはmiyokoがタイ王国を訪問します。日本では体験できないいろいろなことを学んできて欲しいです。他の国へ行っていろいろ学ぶということは、とりもなおさず、自分の住む国を、自分の住む地域、文化を知ることにつながりますから!
日タイ交流の様子は、山寺日記で御覧下さい。