白く輝く雪のように・・・
いよいよ12月、このところ冷え込む日が多いです。この冬は厳冬になるかもしれません。今年最後の月々の法話は「冬は雪」にちなんだ話で今年を締めくくりたいと思います。
曹洞宗の宗歌にある「雪の夕べにひじを断ち」というのは、達磨大師の前で決意を表した慧可大師にちなんだ話です。道元禅師もそうしたことも含めて「冬雪さえて」と詠みこんだのではないでしょうか?いずれにしても、白い雪に真っ赤な血の色は意識に深く刻まれることでしょう。
さて、今から150年前、江戸城桜田門の外で水戸藩と薩摩藩を脱藩した浪士が登城する井伊大老の行列を襲いました。世にいう桜田門外の変です。この事件の後、幕府は急速に力を失い、やがて明治維新へと一気に時代が動いていくわけですが、この事件の軍資金や逃亡資金を提供し、支援していたのが袋田の桜岡源次右衛門直方(平助)です。
この秋に公開になった映画「桜田門外ノ変」では、事件後、幕府の追手から身を隠して西国各地を奔走したが、志かなわず水戸領内に戻った時、桜岡源次衛門ら袋田の人たちに暖かく迎えられる場面が後半の山場として描かれています。
自分や家族に危害が及ぶかもしれないそういった緊迫した場面でも、欲得を離れ、自分の信念に従って行動した人たちが袋田にはいました。水戸藩の人たちは上手に世渡りをして生きるのが苦手だったようで、今でもその気質が色濃く残っています。そうした心意気は真っ白い雪のようです。
当院は、明治維新以降次第に荒廃して行きました。その現状を憂いた桜岡源次衛門の孫にあたる三四郎翁によって復興されました。その功績により、翁を中興開基として祀っております。桜岡家ゆかりの寺として今回、映画「桜田門外ノ変」の撮影に使われたのと同じ、雪のように真っ白な寒水石を境内の虎月庭に敷き詰めました。袋田の人たちの、そして、達磨大師の前に現れた慧可大師の純真な心を表すかのように冬の日差しを浴びて白く輝いています。