永平寺、總持寺祖院、永光寺をお参りしてきました
今年は、大本山總持寺が能登から横浜市鶴見に移転し、落慶入仏遷祖式が明治44年11月に行われてから、100年になります。また、瑩山禅師が石川県羽咋市に永光寺(ようこうじ)を開かれて700年になります。そうした節目の年に、大本山永平寺と總持寺祖院、永光寺をお参りすることが出来ました。
永平寺は修行した寺ですので、参籠し、懐かしく一夜を過ごしました。總持寺祖院に来るのは二度目です。平成19年の能登半島沖地震の爪痕が残っていましたが、復興工事が進んでいる様子がわかりました。
永光寺は、瑩山禅師が晩年を過ごした由緒ある寺ですが、檀家が少なく荒れた状態でした。近年、全国の曹洞宗寺院の支援で境内伽藍の整備が進んでします。永光寺へは初めてお参りしましたが、永光寺には如浄禅師から瑩山禅師までの五代の祖師が五老峯として祀られています。そこを参拝することが出来たのは何よりの喜びです。五老峯については、またの機会に述べさせて頂く予定です。
その永光寺の五老峯から總持寺祖院まで50kmの山道が続いています。峨山道と名付けられているその道は、總持寺の二代目住職であった峨山禅師が、永光寺の4世を兼ねているとき、両方のお寺の朝のお勤めに出たという伝説が生まれ、その時通った道だと言われています。現実にはあり得ない話ですが、山道を走り抜けて二つのお寺の経営にあたった峨山様の情熱が伝わる話です。
峨山様は總持寺に五院による輪番制度をつくり、總持寺の経営を安定させました。やがて、そのシステムが機能し、全国に曹洞宗が広がる元となったのです。
道元禅師の教えを忠実に書き残し、後世に伝えた永平寺の二代目孤雲懐弉禅師、瑩山禅師の教えをさらに発展させた峨山禅師の尽力により、我々は道元禅師の教えを学ぶことができるのです。峨山禅師は大変頑強な方だったようで、当時としてはかなり長命で91歳で遷化するまで、總持寺の経営に力を尽くしました。その業績から拝察すると、瑩山禅師も峨山禅師も、人の心を惹きつける、魅力的な人だったのではないかと思います。